女学生たち奉仕隊のひとつに
出撃のある日のお見送りというのがあった。

女学生たちは次々に滑走路に引き出されていく機体の一機一機に手を振る。

飛行機は飛び立ち、編隊を組んで南の空に消えていく。

これが今生の別れとなるのだ。
みんな涙をこらえてただひたすらに手を振る。

行く人たちへの気持ちを表現するには、
手を振る以外にないのである。



お見送りの時に涙を流すことは禁じられていた。
「飛行場の中で泣いてはいかん。
泣きたければ家へ帰って泣け」と。


三角兵舎に戻って、飛び立った隊員たちの後片付けをするが、
彼らは覚悟の死出の旅ゆえ、
立つ鳥後を濁さずのことわざのとおり、
皆きれいに整頓してあるので、
女学生はほとんど何もすることがない。




特攻兵たちはみな申し合わせたように、
一つのことを女学生たちに言って去っていった。



「君たちをこんなところで働かせて済まないね。今の日本は非常のときだから、君たちも勉強できないんだけど、ぼくたちが死ぬことで戦況を好転させ、君たちを学校に戻してあげるからな。待っててくれよ」




「ぼくたちの力で日本を勝たせて、君たちをきっと学校に戻すからね」



「ぼくたちが死んで日本を守るよ」


「日本はきっとよくなるよ」



特攻兵たちのほとんどは、
自分の犠牲が日本に繁栄をもたらすことにつながると信じていた。
死の代償、死の対価としての日本の勝利を信じていた。


もし信じていなければ、
死んでも死に切れなかったであろう。






新田豊蔵伍長(飛行第103戦隊、昭和20年5月25日出撃戦死、18歳)
は当番の女学生たちにこう書いて都城へ赴任した。


 皆さん本当に短い期間ではござゐましたが
 いろいろと真に有難う御座居ました。
 楽しかった思ひ出は何日迄も自分の胸に収めて何時迄も忘れません。
 皆さんも自分達の事忘れないで下さい。
 命令の前には何処迄も自分達は逝きます。
 何もかも会ふは別れの始で此の世の運命で仕方がありません。
 縁があったら、又何処かで会へる事と秘かに心に念じお別れをします。
 皆さんも近く何処かに動員で行かれる事と思ひますが、
 何処に行かれましても身体には充分気を付けられて、
 何時迄も元気で楽しくお暮し下さい。
 自分達も心から皆さんの御健康をお祈り致して居ります。



これに対して女学生たちはこう書いている。


 新田さんへ
 有難うござゐました。きっと私達五名も約束通り靖国神社へ参ります。
 私達は遠く動員に行っても、又、他界へ行っても忘れないせう。
 私達が真心こめて作ったマスコットは新田さんと一緒に行く所、
 何処迄も連れて行って下さい。
 豊ちゃん御体に気を付けられて都城へ行かれても便りを下さいね。



死を前にして心の高揚した特攻隊員と
十四歳の女学生たちとの心の交流がよくわかる。










「ホタル帰る~特攻隊員と母トメと娘礼子~」
赤羽礼子 石井宏(草思社)


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私、この本読むのにかなり時間がかかっています。

まだ半分です。



泣きながら読んでいるからです。








今も、涙を流しながらブログを作っています。







学生向け笑華尊塾までに、
しっかりとまとめて
きちんと整理して
伝えられるようにします。







生かしていただきありがとうございます。



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2012.01.10 Tue l 絵本・本 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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